2025年9月8日

万感

虫の鳴き声が変わり、秋が密かに近づいている。
土踏まずのない脚で家の周りを練り歩くと、
季節の変動が自己を曝け出した。

丁寧な水の音、鳥達の抒情歌、骸を廻すカラス達。

燦然な朝日は私に誤魔化し用のない影を作り出す。

日々の旋律のその先、
志の欠片を次々と埋めて、
柔光漏れる未来を夢見て。

2025年9月2日

貧弱インナーパート

 一度打ちひしがれた心はそう簡単には戻らない。

真っさらな一枚の紙を一度くしゃくしゃにしたらもう元には戻らない。

生まれ変わるしか方法がない。

それは死を意味する。

しかし、

しかしそこでは終わらない。

誰しもが皆、しわくちゃな紙である。

歳をとるとわかる。

明るいことを書いていきたいと心の底から思ってる。

好きなこと、得意なこと、やりたいこと。欲望に限らず、感謝すること、幸せであること、この世界の美しさ。

人の心の光のほう。明るく、陽だまりのような居心地の良い空間にしていきたいと本当に思っている。

そうしたいよりも、そうじゃなきゃダメな気がする。

そう思っている。

幸い。


2025年8月29日

壊れた心の治し方

 風が吹くよう、自然と流れ出した涙。

意思と魂が離れ、そのまなこは渇きを覚えない。

壊れた心の治し方。

幸せの天使達が足元にいる、温かい料理に風呂、屋根のある家に心地の良い環境。

孤独という津波が1センチでもあるとそれら全てを攫っていく。

トキという治療薬が自然界に存在し、この地球は今まで数多の魂を救ってきた。

その恩恵も受けながら、壊れた心と寄り添っている。

今はただ寄り添い、観察し、素直に生きるしかない。

壊れた心の治し方。

それは自分を大事にすること。

壊れた心の治し方。

壊れた心の治し方


2025年8月21日

涙が泣く夜

人の背中、背中に弱いのです。

私は白状します。

人は背中で旧懐に出くわすのです。

体の小さな人でも背中が広いのです。

私の父は理想的な背中をしているのです。

大きなアザがあり、子供の頃、治してあげたいと思っていたのです。

今でも思うのです。

肩幅が広い姉はいくら体が細くなってもちゃんと肩幅が広いのです。

私の姉なのです。たった一人の姉弟なのです。

母の背中に、私の背中が似てるのです。

中身も似てるのです。


神様、俺は、なぜ泣くのですか。


2025年8月20日

迸る時

 捻る蛇口から勢いよく水が出る。

その速さに時を重ねる。

酔う暇もないスピードに度肝を抜かれた魂は必死に目を背けているみたいだ。


夏、薄いカミソリで肌を削がれるよう、この暑さ。

しかしながらも、残暑を控え確実に終わる郷愁を含む。

夏、不意に訪れる小さな小さなお祭りに出くわす。

神の豪雨に見舞われ笑顔の私と、それとは対照的な人々。

小さくほのかな暖かさを広げる夏祭り、

子供の頃は無限に広がる空間に思えたこの場所。

いつか、何も思わず、行けたらいいな。


夏、34回目。60回目は訪れないようだ。