2025年11月5日

操り川のほとり

朝、不安で目が覚めます。

魂が言うのです。

それでいいの?

何がしたいの?

したいことはないの?

どうしたいの?


今の私には魂の問いに答えることができません。

魂のメッセージは肉体や精神を通して発露されます。

魂の悲痛な叫びを放っておくと

肉体が錆び、精神を病むのです。


ただここで今まで隠していたものが現れるのです。

"自己"です。己。

この 己が強く私を誘います。

焦るなと。

わたしは、

今までこの己を何度も何度も殺してきました。

幾度も殺し、殺しては殺し、主張させないように生きてきました。ここに白状します。

それは、私が私らしく生きることへの躊躇の現れでした。

決められたレールの上を走るよう、周りと違うところを治され、私も他者から殺されてここまで生きてきました。

過去は消えません。なので未来を後悔なく生きてみたいものです。

私、肉体、精神、魂、己。

以上五つが、この"存在"を形成してます。

存在が存在する意味はわかりません。

ただ存在が存在を支え、

存在が確かにここにあるのです。

川の流れに乗らされて明日もまた––。



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